元しくじり文系女Webエンジニア/現サポートエンジニアの雑記

転職してから投稿する気があまり起きないので少し放置気味。ごめんなさい。

ザ・イエローモンキーと私(1)

本当は七夕に書きたかったこの記事をようやく書きます。


中学2年生の時、解散の報道をニュースで聞いた。
その時は全く知らなかったので「ふーん」という感じだった。

同じく中学2年生のある日、学校から帰ってきてスペースシャワーTVを見ていたら、 とあるMVが流れてきた。

TALI/YOSHII LOVINSON

全体的に暗い色調で、曲と同じくらい淡々と流れていくその映像に私は釘付けになった。
でも「何これ暗すぎ」とも思った。
名前からして、この人はハーフなんだろうと勝手に思った。

その時の小さな衝撃を15年以上経った今でも覚えている。


高校生になり、私は中学生の時から続けているベースを担ぎ、軽音楽部に入部した。
入部当初はポルノグラフィティ、L'Arc-en-Ciel、BUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONが好きな、どこにでもいるごく普通の高校生だった。

だから、自分が知らない音楽を知っている部活仲間に刺激を受けた。
そこでふと、自分も新しい音楽を開拓し、音楽的な教養を高めようと最寄りのTSUTAYAへと向かった。

その時に目についたのが、 「J-ROCK特集」として目立つところに移動させられていた
THE YELLOW MONKEY
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT
Blankey Jet City
の3つだった。

特に深いことは考えず、その3つのバンドのベストアルバムをとって、カゴに入れた。


買ってもらったばかりのiPod nanoにアルバムをインポートし、
聴いていくうちにズブズブとはまっていった。
当時、何が自分を惹きつけたのかはあまりよく覚えていない。
歌詞、曲、サウンド、見た目、ライブパフォーマンス・・・
それら全てに少しずつ惹かれていったんだと思う。

ちょうどYouTubeが普及してきた時期だったので
アップロードされている数少ない動画も貪るように見た。

部活の仲間にはこのバンドを知っている人もいたが、
私ほどに情熱を注いでいる人もいなかった。

バンドを語れる人がいない孤独とひそかな優越感を胸に高校生活を過ごした。
(モバゲーやmixiのコミュニティで話すファンの人は多少いた)

吉井和哉ソロのライブは2007年12月の武道館で初めて観た。


大学生になり、私は高校と同じようにコピーバンドをやるサークルに加入した。
そこでは同じバンドを好きな人がわずかにいた。
というか、同じバンドを好きな人がいることが加入の動機だったといっても過言ではない。
そういった人たちと、コピーをやって楽しんだ。
すごく楽しかったが、本人たちの姿がずっと見られないであろうことは定期的に思い出した。

大学生になってもイエローモンキーへの気持ちは変わるどころか、
自分の音楽的な守備範囲が広まったことによりさらなる魅力を感じて、 気持ちが増す一方だった。


大学を卒業してからは、
映画『パンドラ』公開、(みんなめっちゃ仲良いな~と思った)
シングルのリリース、 ライブDVDのリリース、
などの出来事が重なった。

まさか、その数年後に本物が見られるとはもちろん思ってもいなかった。


続く