元しくじり文系女Webエンジニア/現サポートエンジニアの雑記

転職してから投稿する気があまり起きないので少し放置気味。ごめんなさい。

本気の独学、はじめました

前回のブログの執筆から一ヶ月が経つと連絡が来るようになっているのですね。はてなさん。   これは書かなくては、という気になりますね。

さて、タイトルについての話に移ります。

本気の独学とは

2018年2月の1ヶ月間、自分が何回も挫折してきた「自宅でのプログラミング学習」を本腰を入れてやり直す。

なぜやるのか

私は転職後、最初の1ヶ月間はRuby on Railsで作られたプログラムをちまちまと修正する仕事をしていました。
ところがその後、プロジェクトリーダー(コードを書かない)、開発ディレクションGolangちょっと、JavaScriptちょっと、
Pythonちょっと、技術調査ちょっと、と様々な業務を経験し、
先月ようやくゴリゴリRuby on Railsを書く仕事に戻りました。

すると、困ったことに全くコードが書けません。
上司のお力を拝借してようやく次に進めるという度合いでした。

一応RubyRuby on Railsを学習サイトで勉強し、
Railsチュートリアルも10章くらいまで経験しているのですが
全く身についていないのでした。

プログラミング初心者にはフェーズみたいなものがあって
フェーズ1の自分が理解できないことは
もう少しフェーズが進んだ自分がやらないといけないんですよね。
そういうことに最近気づきました。

ということで、本気の独学2018年を始めます。

具体的に何をするのか

一度終わらせていましたが、多分、なぞることに必死だったのできちんと身についていないです・・・。
改めて先月少しやってみたら驚くほどすっと自分の中に入ってきたので、
また一通りやってみます。

  • アジャイル時代のオブジェクト脳のつくり方 Rubyで学ぶ究極の基礎講座を読破し、練習問題をやる

アジャイル時代のオブジェクト脳のつくり方 Rubyで学ぶ究極の基礎講座

アジャイル時代のオブジェクト脳のつくり方 Rubyで学ぶ究極の基礎講座

この本はエンジニアフォロー用ツイッターで見て前から気になっていました。
オブジェクト指向の理解に挫折した人」にも向けて作られているという、
まさに私のためのような本です。

少しずつやり進めていますが、死ぬほどわかりやすく解説してくれているので助かっています。

今後

来月の初頭に成果を発表できるといいな・・・!

2017年、印象に残ったライブ/フェスベスト3をざっと書く

はじめに

2018年もだいぶ過ぎたけれど、去年行った約14本のライブやフェスのうち、 最も印象に残ったものを忘備録もかねてざっと記録しておく。
(本当は2017年中に書きたかったのだが、叶わなかった。)

第3位:夏の魔物@川崎

夏の魔物」は2006年から青森で開催しているフェスである。
なかなかコアでディープなゲストが多く、
一度は行ってみたいと思っていたものの、
青森開催ということで関東在住の私にはハードルの高いものであった。

でも去年は川崎での開催。
これは行くしかないと思い、早割料金のうちにチケットを申し込んだ。

そして当日。
文句のない快晴。

広々とした川崎市東扇島東公園に到着後、
朝の「ロマンポルシェ。」がどうしても見たかったので、入口へと急いだ。
なぜどうしても見たかったかは第2位のところで書く。

入るなり、岡村ちゃんの「だいすき」が聞こえた。
???
いきなりテンションが上がったが、岡村ちゃんはこれには出てないはずだぞ?!

プログラムを見たところ、TV Bros.フェスボルタという出演者らしい。 なかなかクオリティの高い岡村ちゃんモノマネ。
ずっと見ていたかったが、ロマンポルシェ。が見たかったので、急ぐ。

そしてロマンポルシェ。の開始になんとか滑り込むことができた。 パフォーマンスに爆笑し、

・・・と書いているうちに、このブログがこのトピックだけで長文になりすぎる気がしたので、夏の魔物は次回に回すことにする。
中途半端だが、ここで失礼。

第2位:20160603 "Forever" KEN.MORIOKA@新宿ReNY

2016年6月3日に49歳の若さでこの世を去った森岡賢
彼のことは、友人が訃報をリツイートしていたことで知った。
普段、私は訃報があったからといってそのアーティストを聞き出すなんてことはしていない。
でもその時は、知り合いの中でも音楽に関するアンテナが特に優れている人たちがリツイートしていたことから、俄然興味を持った。
まずはminus(-)YouTubeで見て聴き始め、それからSOFT BALLETもすぐに聴きだした。 SOFT BALLETで初めて観た動画は「WHITE SHAMAN」のライブ動画だった。
イントロで手を左右に振り、曲の開始後も縦横無尽に動き回る森岡賢に、
釘付けになった。

生前を知らないというのにお別れ会に行っていいものか迷ったが、
行きたいという気持ちが勝り、行くことにした。

会場の新宿ReNYに開場とほぼ同時に入場し、開演を待つ。

開演アナウンスの「森岡さんは、楽しいことが好きでした。」というメッセージに涙。 でもライブが始まってからは、ひたすら楽しいことの連続だった。 特にうれしかったことは以下である。
本当はもう少し詳細を書きたいところだが、書くのにエネルギーが要りすぎるので概要だけでご容赦願いたい。
・「ご本人」石塚"BERA"伯広によるAMERICAとEGO DANCE
中村達也がドラムを叩くBODY TO BODY
・親友石垣愛の出演
MORRIE布袋寅泰、遠藤遼一のコメント
掟ポルシェの「遠藤健太郎」コス→これを見て、夏の魔物ロマンポルシェ。を見ようと決めた

他にも印象に残った出来事がたくさんあった。
出演者、スタッフの方々には感謝申し上げたい。

そういえば。 退場時にもらったパンフレットにデーモン閣下のお名前があったのだが、どこに出演していたのだろう?
閣下はツアーの真っ最中だったので出演は難しかったと思うが、コーラスの録音とかで出ていたのだろうか?
もしそうであれば嬉しい。

第1位:山下達郎気志團万博2017

この日は大雨だった。
野外フェスでの雨なんて一言でいうと最悪

せっかく楽しみにしていた日なのに、気分はどん底であった。

ところがこの日、今までで一番素晴らしいライブを目にすることになる。

気志團万博は2015年に初めて行き、余りにも感動したので、
それからも出演者が良ければ行こうと思い、
今回はユニコーン米米CLUB岡村靖幸岡崎体育、そして山下達郎が行く決め手となった。

山下達郎が登場した頃には、ひたすら降り注いでいた雨が少し弱まっていた。
定刻になり、ギターをかき鳴らしながら登場。
カッティングだけで空気が見事に変わった。
あんなに洗練されたカッティングは聞いたことがない。

選曲も見事なもの。
寒かったので、セットリストを変えてバラードをなくすという粋な計らいにより、 内面は熱く、燃え上がることができた。

特に「硝子の少年」には見事に心打たれた。
イントロのピアノの時点でおおっとなり、
気づいたら涙があふれ出ていた。

おまけに次に来たのは「アトムの子」。
途中にメンバー紹介があったのだが、コーラス隊の中になんと竹内まりやがいた。 あまりにも贅沢なコーラスに「やられた」と思った。

最後の「さよなら夏の日」でまた涙し、
雨か涙かわからないものを身体中から流し、
しばらく余韻に浸っていた。

山下達郎のミュージシャンとして人を楽しませる才能の豊かさ。
歌の上手さ、ギターの上手さ、楽曲のクオリティーの高さ、 人間性、すべてが一流の中の一流であった。
そしてサポートミュージシャンのレベルの高さ。

50回以上のライブを経験している私でもあれほど素晴らしいライブを見たのは初めてだった。

大雨で、おまけに風も少し吹いていたりしたが、
本当に行ってよかったと思った。
この日のことは一生忘れることはないだろう。

最後に

ライブに行った直後は感想が温泉のようにわき出てくるけれど、
それを文章化するのは思った以上にしんどいということがわかった。
この記事ももう少し細部まで書くつもりだったが精神が持たなかった。

ライブレポートを細かく書ける人は改めてすごいと思った。

・・・これだけしんどいと言っていても、やっぱり書きたくなるのだろうけど。

文系エンジニアの無知は怖い

Qiita

文系プログラマ Advent Calendar 2017 - Qiita

への投稿です。

どういう話

文系未経験で運命の悪戯によりIT業界に入った人間の苦悩と、それに対する対処法です。
ブログなのでポエムに近いですが、お許しください。

ネット界でよく見かける他の文系エンジニアと違う点

・別にエンジニアをやりたかったわけじゃないのになった
・学生時代に個人的にやりさえしなかった完全未経験

なぜこの話を書いたか

私は技術で教えられることはあまりありません。
ですが、経験は少し変わっているのでそれを共有することで誰かの役に立つことはできるかもしれないからです。

自己紹介

国語学部卒・Web系企業に務めるエンジニア五年目♀です。
(現在の会社は2社目)

IT業界に入った経緯

元々大学教授になるのが夢でした。
そのために大学院に行こうとしましたが不合格で。
浪人という選択肢もありましたが、家庭の経済的事情と私自身の勉強疲れにより、就職を決意しました。 その時すでに大学卒業2か月前で、マイ〇ビで偶然出てきて印象の良かった企業に応募し、なんと就活開始後一社目で内定をもらい、入社しました。(事務職で応募したのに面接時に口説かれ、技術職に変更)

1社目でどのようなことをやっていたか

PHPでの中小企業向けの業務システムの開発

良かった点
・開発を優しくするための自社フレームワークもどきがあった

苦労した点
・何しろ初めての概念が多すぎて理解できない
・何が理解できていないのかもわからない

やばい点(転職してから気づいた)
・バージョン管理ツールなし(ファイル名の日付で判別していた)
・テストは当然手動
・開発環境は手元になく、共有ファイルサーバー内のファイルをみんなでいじっていた (当然コンフリクトしまくり)
・コードレビュー時はテキストファイルに修正箇所を記載してメールで送信

転職の理由

・薄給・休日出勤・長時間労働・残業代なし・有給なしの完全真っ黒企業
・仕事が同じことの繰り返し
・二年目以降成長していない、というか転職を防ぐために成長させない仕組みになっていることに気づく

転職活動

エージェントを利用して行いました。
社会人4年目の時に行ったので、時期がちょうど良かったのか?有名企業にもほとんど書類が通りましたが、 技術力の低さを見抜かれ、筆記試験や面接には落ちまくりました。
それでも持ち前の火事場の馬鹿力を利用し、活動開始から1か月後に内定をいただきました。

転職してから

まずは自分の無知さを思い知らされました。 Git? GitHub? というかGitとGitHubってどう違うの?
プルリク?
コミット?
CIツール?
デプロイ?
何それ?

あ、それ以前に開発環境構築ができなくて苦しみました。 (他の新入社員は1日で終える「環境構築作業」に私はまるまる一週間かけました)

何よりも、一社目で成長していない分を取り返すのが非常に大変でした。 いや、まだ取り返せていません。 現在進行形でも勉強はしていますが、 失った4年間は重いです。

前職で過労死しない程度に過労していたんだよ!という言い訳はありますが、 勉強会や情報交換会に一回も行かなかったのを反省しました

まとめ

文系エンジニアの弱点は以下です。 ・学生時代の仲間でエンジニアが少ないため、情報を入手しにくい
・よって、劣悪な労働環境と知らずに長年働いてしまうことになりがち

メッセージ

上記「まとめ」の状況を打破するためには、
・適切に情報を入手する
・勉強会に参加して仲間を増やす
が必要です。

自分の会社が客観的に見てどうなのか?というのを意識する必要があります。
環境のせいにするな、とはよく言いますが、結局は環境が大事であると思います。
特にまっさらな新卒は周りにほぼ影響されます。
変な癖がついた状態で勉強してしまうと変わるのには時間がかかります・・・。
私のような思いを誰にもしてほしくないので、こう言います。
「とにかくエンジニアとしての技術的な知識だけでなくエンジニア社会の知識をつけましょう! 」

また、鳥かごの中に閉じ込められている人はこのはてぶやQiitaを見つけることさえ難しいかもしれません。
どうか皆様の周りに私のような人がいたら助けてください。

では、よいクリスマスを。(クリぼっち)

自己紹介

# はじめに

都内でWebエンジニアをしております、rinasan3です。

 

#ブログをはじめるきっかけ

このブログは、ほとんど人に見られることはないかもしれません。

ですが、たまたま誰かの目に触れて、

少しお役に立てたりしたら嬉しいなと思い始めてみました。

 

# 書きたいと思っていること

 

* 新卒で入ったITベンチャーの話

* 技術の話

* 音楽の話

* (最近始めた)読書の話

 

宜しくお願いします。

 

※追記

Markdownになっていない・・・。

設定変更しないと。